ヨーロッパ中世の言語学・文法学について

言語学? 文法学?

ここで扱うのは、当時 grammatica(文法学)と呼ばれていた学問です。 いまだ言語学 linguistica という言葉は出来ていない時代です。 それを、現代の言語学へとつながるような科学史的観点から、言語学史という一つの枠でくくれるかどうかは大きな問題ですが、 ここでは、その問はまずはおいておくことにします。

この分野における基本文献

日本語でも読めるものを、どれか一冊をあげるとすれば、最初に参照すべきは以下の本でしょう。

『言語学史』R. H. ロウビンズ著、中村完・後藤斉 翻訳(1992年 研究社)

ただしこれは原著の第3版に基づいた翻訳のはずで、原著は第4版が出ています。

A Short History of Linguistics, R. H. ROBINS, 1997(第4版), Longman

これ以前にも言語学史、ないし言語思想史、言語哲学史を銘打ったものはありますが、 中世に関しては、残念ながらかなり古い研究に基づいているか、ほとんど触れていないものが多いです。

手堅くまとまったこの本に対して、現在いくつか数巻ものの言語学史が出ています。 それらのうち、ヨーロッパ中世を扱っている巻をあげると、 まずはイタリアは Lepschy の編纂によるもの

Storia della linguistica, vol. II, a cura di G. C. LEPSCHY, 1990, il Mulino

これは以下の形で英訳されています。

History of Linguistics: Classical and Medieval Linguistics, 1994, Addison Wesley

もう一つはフランスは Auroux の編纂によるもの。

Hisoire des idées linguistiques, tome 2, éd. par S. AUROUX, 1992, Mardaga

どちらも微妙に視点が違います。

1250年頃までの中世文法学の流れ

エリウゲナ周辺

9世紀のエリウゲナ前後において、急激な理論的な発展が見られます。 この点については、フィンランドのAnneli LUHTALA が精力的に研究していて、彼女が Cahiers de l'Institut du Moyen-Age Grec et Latin の71号(2000)に発表した "Early Medieval Commentary on Priscian's Institutiones Grammaticae"(115-188)で主要なテキストが読めます。 ただ、実際にその後の時代に引き継がれたのは、そこから部分的に抜き出され プリスキアヌスへの欄外注の形になったもののようで、本当に理論的な部分は必ずしも引き継がれなかったようです (ただ13世紀初頭の写本を見ていると、どうも実情はそう簡単ではなかったようにも思われます)。

Glosulae から Petrus Helias へ

おそらく中世の言語学・文法学研究では、今もっとも人が集まっている時代です。 私が技術責任者をやっている、 CNRSが中心となった国際研究プロジェクトProjet Glosulaeが 問題としているのがまさにこの時代です。 12世紀の早い時期に、巨大なプリスキアヌスへの文法学註解書(Glosulae)が成立し、 12世紀の間、大きな影響を与えますが、この書物自体の校訂本もまだ刊行されていないという状態です。

しかし、この影響力が強かったとされる註解書も Guillelmus de Conchis、Petrus Helias らの書物の成立と共に 13世紀には基本的には忘れられてしまったとされています。

Kilwardby を巡って

Kilwardbyの名をつけられたテキストの周辺に、ある種の標準的な学説が形成されます。 私のフランスでの指導教官である Irène ROSIER(-CATACH) が

La parole comme acte --- sur la grammaire et la sémantique au XIIIe siècle, 1994, Vrin

で描いているのも、そうした消息です。

様態論者

私の現在の研究対象の中心です。 80年代にまとめて校訂版が出た後、すっかり研究者が少なくなってしまいました。 (しかし実際に、まだまだ研究されていない部分が多いです) 名前が確認されている人たちでは例えば次のようなものがあります。 年代については、研究者の間でも意見が分かれているので、おおよそのもの。

  • 1270年代(初頭ないし以前)Martinus de Dacia, Matheus de Bologna
  • 1270年代 Boethius de Dacia, Michael de Marbasio, Petrus de Alvernia
  • 1280年代 Johannes de Dacia, Innata est nobis
  • 1290年代 Radulphus Brito, Albertus Swebelinus
  • 1300年代 Thomas de Erfordia
  • 1330年代 Johannes Josse de Marvilla

これらのうちでも、Petrus de Alvernia や Albertus Swebelinus については まったく校訂が進んでいません。

また刊行されているテキストでも、Thomas de Erfordia のテキストについては、校訂の問題があります。 現行の Bursill-Hall による英語との対訳に納められているテキストは、 Bursill-Hall 自身が強調しているように古い刊本によるもので、 決して「校訂版」ではありません。 もちろん、大雑把には問題はない、とも言えるのですが 例えば冒頭の基本的な理論を説明している部分での significare consignificare の区別が、写本上でははっきりと区別されているにもかかわらず 現行のテキストでは、その区別がおかしなことになっています。 そのため、その校訂を準備中です。

様態論者以降

一般に、ノミナリストからの攻撃によって様態論は終わったと言われますが、実際に この時期に起こっていたことは、もっと複雑です。

極端なバージョンとしては、様態論者達が表示様態として記述したものを 思考のレベルで存在するものとして記述するような文法があります(オランダのボスによる校訂版が出る予定)。

思弁文法学は俗語を知らなかったのか?

ロジャー・ベーコンという例外

 

様態論における俗語

様態論に関して言えば、1260年頃から1310年頃の最も盛んだったと言われる時期の テキストにおいて、俗語が出てくることは、あまりありません。 しかし、例えば、15世紀の様態論学派の書物において、 様態論的理論は薄められた形ではありますが、イタリア語とラテン語の構文の比較が行われているものがあります。 (校訂版を準備中)

(思弁的)文法理論と文法教育の実際

ジャンルの多様性

大学教育以前に、読み書き話すは行われていました。 しかし、他方、大学でも、思弁的、哲学的、理論的文法学だけが行われていたわけではありません。 ソフィスマの形式でのものや、そしてより実践的なものとして「文法規則(演習)」がありますが こうした、より実際の言語教育に近いものは、あまり研究されていないのが実情です(特に後者)。

文法学ソフィスマ

論理学的 Sophismata 文献への研究が最近盛んになっていますが、それだけではなく、文法学的ソフィスマも 数多く残されています。

「文法規則について」というジャンル

De regulis ないし regulae といった名前で写本カタログに 掲載されていることが多い諸文献は、当時のより初歩的な段階での大学での文法学の教育を 残しているように思われます。当時の理論的な説明装置で、具体的な構文を分析していくという演習です。 しかし、カタログでもタイトルの表記が一定していないこと、どれも、基本的にそれほど長くはないこともあり、 実態の確認には、まだまだ時間がかかりそうです。